育成福祉会について

 昭和37年12月に発足した当時「沖縄精神薄弱育成会」は常勤の職員を配置したものの、決まった収入がある訳でなく、会員を勧誘しながら施設設置の啓蒙活動を行っていた。

当時のスローガンは、
「教育や訓練を受けていない知的障害児に対し教育や訓練の機会を与える」
ものであった。
 当時の沖縄県では、知的障害児の多くが、学校での教育が困難とされ、就学猶予や免除の措置がとられ、在宅を余儀なくされていた。このような背景の中、学校教育の対象にならない児童のための施設の整備をしなければならないという機運が高まっていた。

しかし、当時は米国統治下にあり、通所施設は養護学校設置へ、また、入所施設の設立を認めないものでした。その理由として、米国担当官より「子供は家庭にあって両親の温かい愛情の元で養育されるべきであり、親元から引き離して収容することは望ましくない」との説明であった。その頃、米国では大型コロニーの見直しが始まり、小規模施設、地域化へ向けての取り組みが始まった時期で、本国の流れが背景にあったものと思われる。

しかし、養護学校での改善が得られず、どうしても施設の設置を望む親たちの想いがあり、すでに南方同胞援護会によって設置されていた整肢療護園にならい、南方同胞援護会へ要請することとなった。

施設設置の条件として
①社会福祉法人化すること
②敷地は自分たちで確保すること
③琉球政府の対応費を予算化させること
④米国政府の許可をとりつけること
⑤役員を充実させること

の5つの条件を提示されたが、当時では大変厳しい条件であったが、当時の琉球政府社会福祉課長の指導の下、社会福祉法人への移行が進められ、運営費に事欠いていた状況の中、設立準備委員全員が寄付することで、基本財産を作り、昭和38年11月26日の認可となった。

その後、施設設置の要望が高まり

・沖縄中央育成園通園部(昭和40年4月開園)現・沖縄中央育成園あおぞら荘(障害者支援施設)沖縄中央育成園あさひ寮(児童入所)デイサービスセンター(通所)→沖縄中央育成園生活支援センター(通所生活介護)
・沖縄中央育成園八重山分園(昭和43年7月開園/現・若夏会「八重山育成園」)
・よもぎ学園(昭和40年4月開園)当時は通園部/現・障害者支援施設
・具志川育成園(昭和45年開園)現・緑和会 「栄野比学園」「栄野比の里」
・あけもどろ学園(昭和49年4月開園)
・おもと学園(昭和49年開園)現・若夏会
・こくら園(昭和51年7月開園・昭和57年より那覇市が運営)
・てだこ学園(昭和54年)
・南風園(昭和52年に作業所として活動。昭和55年開園)現・ワークプラザ南風

が開設に至ったが、施設整備が過度期を向かえ借財も増え、経営悪化から「栄野比学園」「栄野比の里」「八重山育成園」「おもと学園」の経営移管が行われた。
また、組織も親の会活動を譲渡し、名称を社会福祉法人育成福祉会と改め施設経営に専念することとなった。

その後、グループホーム「美南風」「美八重」相談支援センター「りんく」就労事業所「エコ輪」地域生活支援センター「ひびき」放課後児童デイ「ひよこクラブ」などの開設を行い、地域支援の充実に努めている。


※今後追加していきますので、しばらくお待ちください。


左上段:よもぎ学園(昭和62年頃) 右上段:沖縄中央育成園 昭和53年頃
左下段:あけもどろ学園開所工事(昭和49年4月頃) 右下段:てだこ学園・あけもどろ学園航空写真